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 「いつか何処かで」

 13 よどの滝


 
 奥久慈は水戸の奥座敷にあります。東京外環状線八潮インターから常磐自動車道路を走り、江戸川を越え千葉県に、そして利根川を越えて茨城県つまり水戸藩に入ることができます。
那珂インターは奥久慈への入り口です。
那珂川は、鮭のもどる南限の川として知られ、放した鮭の約2%が故郷に帰って来られるそうです。
瓜連(うりづら)町は一番小さな町で、この近くにはシベリアからの白鳥が越冬する南限の沼があり、毎年百羽ほどはるばる飛んでくるといいます。
田畑の落ち穂をついばむ白鳥の優雅な姿が見られるようです。
茨城と千葉は北海道に次ぐ農産物生産の多い県です。
早場米として、キヌヒカリのほかコシヒカリ、秋田こまち等も作られ8月下旬には稲刈りをし9月に新米が出荷されます。
台風を避けて大切な稲穂を収穫する知恵は、早く新米が食べられる消費者にも喜ばれているようです。
久慈川は、カヌーで下る人もいて自然が多く残っています。
秋の七草の他、コスモスを入れて八草が咲き、川に沿って水郡線が水戸と郡山を結んでいます。
水戸光圀は、23万石の水戸藩主2代目として、江戸小石川の屋敷で政務を行いました。二十歳の時白夷伝に感銘し、63才から73才で没するまで常陸の山荘で自活し、スケさん、カクさんと気軽に呼ばれている二学者とともに大日本史を編纂しました。
黄門とは中納言の位を意味し、水戸藩主は代々全て「水戸黄門」と呼ばれているそうです。イメージと事実が随分異なりました。
袋田の滝も同じように驚きました。
人が少ない山中の懐奥深くに那智の滝、華厳の滝に並ぶ日本3大名瀑のひとつといわれる袋田の滝が存在すると思っていました。
しかし、事実は、観光旅館、みやげ店が多く立ち並び、有料トンネルを通り抜けた突き当たりに広大な滝が拡がっていたのです。
この滝は春の新緑、夏の避暑、秋の紅葉、冬の氷結と四季の移るたびに四度この滝に来ないと真の風情は極められないと平安の歌僧西行法師が言ったことから、「よどの滝」と呼ばれています。
 花もみじ 経緯(よこたて)にして 山姫の
     錦織り出す 袋田の滝      (西行法師)
 いつの世に つつみこめけむ 袋田の
      布引き出す しら糸の滝    (水戸光圀)
この滝は男体山、上流の硬い火山角礫岩層と下流の軟らかい凝灰岩層の砂岩および貞岩が造滝岩となり、四本の節理と断層面へ滝水の流れ込む浸食作用により、落差120m幅73mある四段の名瀑として確かに姿を現していました。
ここ奥久慈は鮎の里でもあります。
千石という割烹でゆば料理を御馳走になりました。
ゆばは、豆腐をつくるときの上澄み液の軽いイメージがありましたが、事実はまた異なりとてもボリュームがあり、また上品で、鮎の塩焼きもとても美味しくいただきました。冬はアンコウ鍋があります。
食事のあと、ナトリウム硫酸塩泉の大子(だいご)温泉(森林の温泉)露天風呂にくつろぎました。大子(だいご)にはリンゴ園もあるそうです。太陽の当たった部分は赤く、美味しいリンゴは下部の方が黄色で山谷がくっきりしてグラマーなのだそうです。
ここ奥久慈は、確かに四度来ないと判らない魅力があります。



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