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 「いつか何処かで」

7. 夢の細道


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 花巻温泉は弱アルカリ性単純温泉です。
温泉のあと、早朝、台川に流れる釜渕の滝に散歩しました。
ここ台川にはゲンジホタルが生息し、6月末から7月中旬に掛けて飛び交うそうです。ここは銀河鉄道が走る詩人の里です。
多くの詩人が詩を残したことから新奥の細道ともいわれます。
「釜淵だら俺あ前になんぼがえりも見だ。それでも今日も来た」と宮沢賢治は作品「台川」に記しています。
与謝野晶子は短歌を残しています。
「深山する かじかに通う声もして 岩にひろがる釜ふちの滝」
巌谷小波は俳句を残しています。
「大釜や 滝が沸かせる 水煙」
台川は瀬川に合流し、さらに北上川に流れるあたりは6500万年前第三紀の地層が渇水時に露出し、宮沢賢治は言っています。
「イギリスあたりの白亜の海岸を歩いているやうな気がする」
と表現したことからイギリス海岸と呼ばれています。
ここは賢治の里、イーハトーブつまり岩手県なのです。
 奥の細道で中尊字金色堂は光堂と呼ばれています。
「五月雨や 振り残してや 光堂」
芭蕉46才の句です。よく吟味され、洗練された一句です。
金色堂は、御所風のお墓です。国宝の藤原四代の墓所です。
木の瓦の下麻布に漆を施し、金箔を捺した堂には阿弥陀如来を本願とする仏が座し、その伽藍は夜光貝で飾られ、その下の孔雀の縁のなかには正面に藤原清衡、左に2代藤原基衡、右に3代藤原秀衡のご遺体と4代藤原泰衡のみしるしが収められています。
前九年の役で源頼義に、藤原清衡の父藤原経清は阿部氏の滅亡とともに斬首されます。藤原清衡の母阿部頼時の娘は敵将清原武則に再嫁します。
後三年の役で清原氏の内乱に乗じ、藤原清衡は源義家とともに東北の実権を1087年に掌握します。
時代が下がり、三代藤原秀衡は源義経を迎えますが、四代藤原泰衡は父の遺言を無視して衣川で源義経を追い込みます。
この衣川と北上川の合流地が平泉です。
しかし、泰衡は1189年家臣河田次郎に討たれ、藤原氏の栄華は終わり源頼朝の鎌倉時代に移っていきます。
この藤原四代百年の歴史は夢館(ゆめやかた)歴史資料館に蝋人形による具体的な29場面で紹介されています。
等身大の蝋人形のリアルな表情は心に迫るものがあります。
この平泉には、慈覚大師開山天台宗東北大本山中尊寺、二代藤原基衡が造園した毛越寺(もうつうじ)、三代藤原秀衡の無量光院をはじめ、3百あまりの中之坊、寺院がありました。
一世紀にわたる仏教栄華がここにあったのです。
1337年の山火事で経蔵にあった金糸の経典の半分が焼け、残った7千巻うち4千巻は真言宗高野山に収められているとのことでした。
以前、奥州に来たときは大きな杉の細道を随分歩いた記憶がありましたが、今はそれほどでもなく見学することができました。
薬師如来を本尊とする毛越寺(もうつうじ)を参観し、広大な湖景を鋭く引き締める出島石組みと地中立石に趣を感じました。
般若心経と俳句が掛かれた扇子、金仏灰、香炉などをもとめ、つわものどもが夢のあとを祈りました。

「いつか何処かで」