インターネット「ぴゅう太郎」 「いつか何処かで」
5. ねぶたの火祭り

青森に着いたのはもう夕方でした。
東京から新幹線やまびこで盛岡まで3時間、「さんさ踊り」で賑わう盛岡からバスに乗り換え2時間半で深緑色のむつ湾を目前にすることができます。
青森は観光バスが続々到着し、人々があふれ、火祭り一色です。
人工約30万の青森市はこのねぶた祭り期間に一挙に10倍の300万人以上に膨れます。この人波が毎年毎年減らないのが不思議です。北国らしい名称のアラスカ会館で夕食を取り、あとは祭りに向かって一直線です。15階建ての三角形をした青森観光物産館アスパム( Aomori Sightseeing Products Mansion )の廻りには、24棟の大型ねぶたがその出番を待っています。
その日は小雨が降っていましたのでその巨大なねぶたにそれより一段大きいビニールの覆いを囃子手、曳き手が全員で掛けています。国道4号線、ねぶた大通りは勧喜の人々で溢れています。
陽が落ちるとともに小雨も止みました。
さあ、ねぶたに火が入りました。火祭りねぶたの開幕です。
ねぶたの大きさは高さ5m、幅9m、奥行き7mあります。
パノラマサイズをさらに横に長くしたスーパーサイズです。
しかも立体3次元、このねぶたは見ているだけで感激します。
これが揺れ動き、勢いよく回転するのです。その巨大なねぶたの廻りで一棟あたり2000人以上のハネコが小鈴を鳴らし飛び跳ね夏を謳歌します。その興奮の中にいると自分が火に集まる大群の虫の一匹になったような覚えがします。
昔は、坂上田村麻呂が蝦夷征伐する時に興った祭りとされ、1962年から最優秀ねぶた棟に田村麿賞が贈られてきました。しかし、今は、国指定の重要無形民族文化財に相応しく1995年からねぶた大賞が贈られるようになっています。その受賞者、ねぶた師千葉作龍氏は今年、火の神(カムイフチ)に民族再興と戦いの勝利に祈りを捧げる蝦夷の英雄シャクシャインの勇姿をねぶたの原絵図に描いています。
多くのねぶた棟は躍動的なラッセーラのかけ声の中、歴史的人物の雄姿が甦り、踊り跳ねます。
このねぶた火祭りは「ねむり流し」すなわち灯篭流しが基と言われています。七日目にねぶたの巨大な火灯篭は曳き手に導かれてジャガラギ(手振鉦)のシャンシャンという囃子に送られ、送り絵とともに陸奥の海に還っていきます。
陸奥の短い夏はこうしてねむりにつき、次の夏を待つのです。
その夜は、十和田湖中山半島休屋の十和田荘に泊まりました。
十和田湖は十和田八幡平国立公園にあります。太古2回の大噴火でできた二重式カルデラ湖です。透明度が高く、清水の湖とも呼ばれ、水深327m日本で3番目に深い湖です。水温が13度、冬でも1度で暖かい不凍湖ですが、和井内貞行がニジマスを養殖するまで、魚の住めない湖でした。日本で2番目に深い支笏湖にカブチョッコすなわちニジマスが生息できることを知った和井内が20年以上の歳月を掛けて十和田湖を魚の棲む湖にしたとされています。早朝の十和田湖の湖畔御前が浜には白柳(泥の木)がそびえ、恵比寿大黒島には弱い松が岩にしっかりと根付き湖の景観を保っています。国立公園指定15周年を記念し、高村光太郎作乙女の像が湖の美のシンボルとして建てられていました。
火祭りの夜が明けるとそこには静思な湖面が拡がっていました。
「いつか何処かで」