インターネット「ぴゅう太郎」

 「いつか何処かで」

4. 祇園の夏 


 祇園は7月17日に祭祀されます。
明治時代に太陽暦が採用される以前は旧暦6月15日でした。
夏暑く冬寒い京都盆地では、古代京都の民衆は体調をくずし、いろいろな病疫で亡くなる人が多くいました。
9世紀、清和天皇の時代に疫病を祓うために全国の国の数に準じて66の鉾を集め祇園社、今の八坂神社で祭祀されたそうです。
現代でも、真夏の陽射しの中を9の鉾と23の山が京都の小路に曳かれます。先頭は稚児をのせた長刀鉾(なぎなたぼこ)です。その後には町内の神仏、和漢の故事や逸話を題材とする山鉾が巡行します。よく知られていますが、霰天神、聖徳太子、芦刈、白楽天、そして孟宋などの山があります。傘の鉾もあります。
山鉾は数々の彫金、組み紐、絵画、そして16世紀ごろから海外貿易で京都にもたらされたタペストリーなどで飾られ、まるで動く染織物博物館です。暑い陽射しの中で見学しました。
歴史的な美術品をこんな強い紫外線のもとに晒して良いのだろうか、それとも復元品なのだろうか。
つまらぬ心配をするよりも、明るい太陽の光で、今のうちに有り難く文化遺産を見訊きすることが、なにより大切と思いました。
車輪の軋む音に、鉦、笛、太鼓囃子に愛でられた文化を支えながら、多くの人々によって悠久と曳かれていく歴史の重みをつよく感じます。歴史を背負った山鉾は、今日その場に居合わせた人々の視線を承けながら、また来年の夏の日に向けて、御池通りからそれぞれの小路に還っていきました。
 京都は、鴨川と桂川に囲まれた平安の土地です。
そして、その鬼門にあたる比叡山の麓には、律川と呂川つまり長調と短調、あるいは速い流れと遅い流れとも解される二川に包まれたところに伝教大師最澄上人が開基という大原の里、三千院があります。
天台宗の教え「一念ずれば三千を具する」という一念三千観から門跡名がつきました。宸殿の玉座の間には、東晋時代の王義之の書いた「鵞」(が)という拓本が掛けられていました。
大きな仏の手のひらに抱かれるような寛大な書です。
玉座の前にある虹の間には障子絵はなく、ただ蒼い正虹と逆虹のみが天上に掛けて描かれていました。そして、そこから観る庭はおそらく誰もが絵はがきで見たことがある有清園です。
そこにある院の名は、国宝往生極楽院といいます。
そこには、阿弥陀如来の左右に、慈悲の観世音菩薩、そして知恵の勢至菩薩がいま天界に発つ姿がありました。
ここでは、極楽往生ではなく、往生極楽なのです。つまり、死んでから極楽に逝くのではなく、生きながら極楽を知ることができるのです。そのためには、きっとたいへんな修行がいることでしょう。院の脇には細波の瀧(さざなみのたき)があり、修行のあいだ心を清め洗い流してくれるのでしょうか。
 帰り道、京都と滋賀の途中にあるその名も途中トンネルを経て、琵琶湖大橋を渡りました。京都の平山を振り返りながら、静かな湖畔を見るとなにか心が落ち着きました。
生きながら極楽を知るとはどんなことなのでしょうか。
目を閉じると阿弥陀如来の像が浮かび、祇園祭りの囃子の音色が不思議に耳に残っています。
私にとって、祇園の夏はまた極楽を信念する夏でもありました。

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