インターネット「ぴゅう太郎」 「赤道の向こうに」
15. あいまいな結婚
敬虔な信徒は毎日曜日に教会にいく。
カトリックはミサを、プロテスタントは礼拝をする。カトリック教会にはマリア像があるが、プロテスタント教会にはない。
十字をきる信者ときらない信者がいる。
私はキリスト教徒ではないが、子供をキリスト教の幼稚園に通わせた時に知った。私の結婚は神前で、葬儀は仏式でおこなうと思う。ノーベル賞作家の使った言葉だけを拝借すると日本人の多くは昔から宗教に対して「あいまい」にみえる。
たとえば江戸時代のマリア観音そして八幡大菩薩がある。観音は菩薩のひとりである。
菩薩とは仏教で仏の次に位する人でありキリスト教のマリアとはまったく別人である。
また八幡大菩薩とは神道の弓矢の守護神八幡神に仏教の菩薩の呼称が加わっている。
種々の神が交じりあっている。
最近、日本人の結婚式は海外のホテルや教会で挙げることが多くなった。オーストラリアでは主にケアンズ、ゴールドコースト、そしてシドニーの教会で結婚式を挙げる。オペラハウスでの結婚式もある。私の泊まったホテルの入口から教会で結婚式を挙げたばかりと思われるウェディング姿で現れたカップルがいた。
これからまわりが賑やかになるぞと見ていたが、新郎新婦の2人しかいなかった。新郎は自分でビデオ撮影をしている。昔、「卒業」という映画で見たようにな二人きりの門出であった。
本来、結婚とは二人きりでいいのかも知れない。ふたりの親戚、友人、仕事関係の人々は、私と比べてその祝福の方法が多少違うだけなのかもしれない。日本でもオーストラリアでも一般に家と家、宗教と宗教の結びを大事に結婚を考えている。しかしつまるところ、ふたりの仲は二人だけで決まるものなのかもしれない。
オーストラリアのブリスベーンには100ほどの多くの教会がある。そのなかには何十年もかけて建築中の大きな教会があれば、小さな更地だけの教会もある。神父にもいろいろいて、なかには教会建築費の募金をし、それを携帯して逃げてしまった神父がいるらしい。日本でも1万を超える宗教法人が存在する。毒ガスなどで多くの人を殺して逮捕された教祖もいる。私には宗教問題は難しすぎるが、どうか人を幸せにする宗教であって欲しいと願う。
頭と羽が鷲で胴体がライオンのグリフィンはブリスベーン都市の守護神である。
日本の都市に守護神はない。私は極めてあいまいな守護神に守られていように見える。
しかし、私はあいまいではない。春分、お盆、秋分、正月と年に4度は墓参りをする。仏式ではあるが、私はその墓石の前で聖書を読んでもいいと思っている。私にとってだいじなものは神仏ではなく先祖である。その先祖と話すために神、仏、キリストに救いを求めている。
私はあいまいな信者にみえるがあいまいではない。あの教会で結婚したふたりも葬式は仏式かもしれない。子供が生まれたら神社に報告にいくかもしれない。でもふたりはあいまいな結婚をしていないと思う。
ふたりは、あらゆる宗教を超えて結ばれていると思う。
よけいな心配をする私の前を幸せな二人はエレベータに消えていった。
「赤道の向こうに」