インターネット「ぴゅう太郎」 「赤道の向こうに」
12. 巡ってくるもの、曲っているもの
オーストラリアの狩猟道具としてはおそらく誰もがブーメランを、そして楽器としてはディジュリデューを思い浮かべる。
その表面には原住民アボリジニが独特のドット絵図をほどこされ、みやげものとしてたくさん売られている。
昔からこのような道具や楽器があったのだろうか。日本の遺跡からよく木簡が出土し、その表面に書かれた文章から当時の時代の様子や物流を知ることができる。
これと同じでどこかの博物館に古代アボリジニの使ったと見られる表面に絵が入れ墨された古代のブーメランが展示されているのだろうが、私はそれを見たことがない。
大きな岩の表面に描かれた古代絵は何度もみるが、小さな古代の道具をあの広大な大地から発見するのは不可能に近いだろう。
ブーメランはもともと原住民には狩猟道具として用途が限られていた。
だから「くの字」型の一端をもって再び回り巡ってくることを期待して空の風に向かって垂直に投げる必要はない。
カンガルーなどの足を狙って水平に投げれば目的を達する。
当たらなければ別のブーメランを投げる。戻ってくるのを待っていたのではカンガルーは逃げてしまう。
カンガルーを崖に追いつめ落としてしまう断崖もオーストラリアにはたくさんある。
しかし、水鳥などを驚かせて巣等を発見するには、ブーメランが手元に戻ってくるとうれしい。
戻ってくるためにブーメランの形は「くの字」型になりさらに戻りやすくするため裏側の一端を少し削ってある。
もちろん「くの字」型でないブーメランも多くある。
それにしても実際に使えそうもないブーメランの何がそんなに魅力的なのかよく分からないまま、私は自然に手にとり記念に買ってしまった。
ディジュリデューの音色はとても魅力的である。一度聞いたら忘れられない魅力がある。筒状の木管楽器には指で押さえる穴はないが、日本の尺八と同じで、好い音色をだすには長い年月の練習が必要である。人間の口から発する音が曲がった一本の木管を通る間に不思議に変化し、木簡を叩くリズムと交じって壮大なオーケストラになってしまう。凄い。すばらしい。不思議だ。
曲がった木管は大きさやその曲がり方の違いでそれぞれ音色が異なり、個性がはっきりしている。
いろいろな意味で回り道をしている私にはとても魅力的な楽器に映った。
巡ってくるもの、曲がっているもの、私にはそれぞれに説明できない不思議な魅力がある。
何気無く買ってしまった壁に飾られたブーメランをみていると、何事にもいちいち実用上の意味を明確にして限定してしまうよりも、あまり意固地に構えずに、もっとゆったりした気持ちで生きていきなさいと教えられるような気がした。
ときどき、何かにつまずいたら壁に飾ったこのブーメランを手にとっていろいろと回想し、反省し、懺悔などをしたいと思った。
「赤道の向こうに」