インターネット「ぴゅう太郎」

 「赤道の向こうに」

6. 神戸からの生命線



 シドニーを走る車窓から私は落ち着いた赤い屋根とレンガづくりの町並みをみた。地震のないシドニーではすてきなレンガ造りの家を建てることができて羨ましい。またオーストラリアでは、大きな費用を掛けずに家とライフラインを維持することができる。日本では、たとえば私の家族は、家の維持費を別にしてガス1万円、電気1万5千円、水道5千円、電話6千円、灯油4千円、そしてガソリン3万円、合計月に約7万円もかかる。オーストラリアではその半分以下で済むだろう。日本で、家を建てようとすると、60才の退職金とローンを足して生まれて初めてできるか否かである。さらに、その小さな家の回りには多くの電信柱と電線が取り囲み、高速道路では別料金をとられる。それでいて、最先端の近代国家、日本を自負しているようにみえる。

戦後半世紀、日本はまさに伝説的な発展をし、輝かしい近代都市と交通網を築いた。しかし、私はまだ日が昇らないある朝早く、神戸から届いたほんの数十秒の地震で 目を覚まされてしまった。神がその門戸をわずかに開けかかっただけで大切な家の崩壊と炎の中に5千人以上もの命が失われた。30万人の避難テント生活が始まった。神戸はまさに神が戸を開ける場所である。私は神戸の山からみるあの宝石をちりばめたような美しい夜景がとてもすきである。あの夜のすばらしくきらめいた街を忘れることができない。しかし、そこにいる人々は、空虚な地震情報や政治的な哀悼の言葉よりも、ライフラインすなわち現実の 生命線を訴えていた。世界中から暖かい支援がすぐに届き、オーストラリアからは救援の水がとどいた。
多くの人にまじって私も義援金を送った。一見するとこれで終わったようにみえる。しかし、これでいいのだろうか。救援のあと、本当のライフラインを作るべきだと願う。もし、またこれまでと同じように安易にライフラインを建設するならば、残りの半世紀にまちがいなく再び神の戸が開かれ大きな災害になるに違いない。

私は無力と悲しみの前で涙があふれて、しかたない。しかしそのあいだにも次の地震に備えなければいけない。オーストラリアはシドニーに代わって政治的な機能を持つ首都を持っている。しかし日本は仮設でなくほんとうの家とライフラインそして東京の代替都市を用意しているのだろうか。5千人以上もの命を奪った災害は戦後、他にもあった。私は1959年の伊勢湾台風を経験している。強風と豪雨から家を守るため子供だった私は無力で無駄ではあったが、一生懸命箪笥をおさえずにはいられなかった。夜通し、生きていたら次は小さくても頑丈な家にすみたいと考えていた。台風一過、幸運にも命はあったが、夜があけると家と街のライフラインはとてもひどかった。今回も救助物質はヘリコプターで送られなかった。私は街のライフラインに頼るのでなく、自分自身のライフラインを造らねばいけないことを思い出した。私はもう不平不満を言うのをやめて、自分の家の備蓄を再点検することにした。
私は自分で神戸からの命綱を探すことにした。


「赤道の向こうに」