インターネット「ぴゅう太郎」

 「赤道の向こうに」

2. ツーアップ


 私は、日本ではお金を賭けることが禁止されているカジノに行ってみたくなった。ホテルの門衛にお願いすると白く長大なリムジンが迎えに来た。おかげで、大金持ちの気分でこれに乗ってカジノに乗り付けることになった。

 カジノには人と接触せずに歩くことができないほど多くの人がいた。人数だけでなく、世界中の人種が一堂に介して服装もそれぞれいろいろであった。劇的な幸運を期待する気持ちは世界中同じである。私はキノという数字の組み合わせを当てるゲームをした。そこには結構お年寄りの方も多く、椅子に座って楽しんでいる。最初はその方法がわからずカードにいくつもマルをうって賭けてみた。もちろん日本語の説明パンフレットもあったが、まじめに読まずにとにかくゲームをはじめてしまった。急いでいるわけではない。ゲームをしながらそのゲームを覚えていきたいと思った。そのうちに自分のしていることの馬鹿さにきずき賭け方もいろいろ変えていった。思考錯誤ののち、30分ほどして1度全部の数字が当たった。とうとうやったと思い意気盛ん換金にいくと賭金が2倍になっただけであった。がっくりしてしまった。そしてまた賭け方を変えてみた。しばらくして満員の席に空きが見つかり座れた。まわりの人はずいぶんと長い間居る様子でカードが山になっている。カジノでは時間を忘れて1日中遊ぶ人もいると思う。空気さえよければ私もずっとここに居たいと思った。

 オーストラリアのカジノには投げた硬貨の表裏を賭けるツーアップというゲームがある。表か裏か、長か半かどちらかに賭けるゲームで、どこか日本の博打に似ている。願いを込めて硬貨を未来の幸運に向かって投げる時は、誰もが興奮してしまう。
しかし、願い方ひとつで、難と福は糾える縄のごとく時々反転してしまう。福の招き方には2とうりある。裕福と幸福である。福を招く「まねき猫」が左手を挙げて招いている福は裕福で具体的にはお金である。一方右手を挙げて招いている福は幸福でお金ではない。詭弁とおもわれるかもしれないが、お金持ちになっても幸福になるとは限らない。
また、お金を失っても幸福になることもたまにはある。

 私の運命も表裏一体、出かける時のリムジンと違って、帰る時はタクシー乗り場で並んだことは言うまでもない。
しかし、人生万事塞翁が馬、お金を失っても不幸とは思わない。1月(January)の語源であり、門の鍵を持ちすべての初めと終わりを司る、ヤヌス(Janus)神は、過去と未来を見通すことができる双面神である。このヤヌス神に過去がだめでも未来は反転することを祈りながら、今度私がカジノに繰り出す時は、リムジンはやめて、タクシー乗り場で並びたいと思った。
・・・
やはり私の言っていることは負けおしみであろうか。


「赤道の向こうに」